さいたま市立浦和高等学校

サッカー部

サッカー部

Do Action  自ら行動し、試合を支配し、困難に打ち克ち、人々を魅了する! 

 1946年(昭和22年)に創部されたサッカー部。全国大会での優勝回数は実に8回を誇る。伝統のサッカー部では「全国制覇」「王座奪還」を目指し、チーム一丸となって取り組んでいる。
 部員一人ひとりが「文武両道」「自由闊達」「自主自立」の教育方針のもと、今その瞬間に自分や人のためにできることに全力で取り組み、サッカープレーヤーである以前に人として大きく成長している。

 現在チームを率いているのは、自身も市高時代はキャプテンとして全国高校サッカー選手権大会ベスト8に進出し、一方、指導者としては平成30年度の福井国体において埼玉県選抜の監督として17年ぶりに埼玉県を全国優勝に導いた大野恭平監督である。全国高校サッカー選手権大会に2度、全国高等学校総合体育大会には3度チームを導き、平成17年の関東大会では42年ぶりに優勝を果たした池田一義前監督から令和元年度にバトンを受け継いだ。その大野監督はじめ顧問や外部コーチ、トレーナーの指導のもと、今まで築き上げてきた伝統を大切にしながらも常に新しいことにチャレンジする精神をもち、自分たちで行動を起こしていく魅力あるチームを目指している。

 高校女子サッカー部も平成18年度から大会に参加している。日々の練習を大切にし、試合の中での自己実現を目指している。平成20年度には県のベスト8にも進出した。
 また、平成19年度に中高一貫校となり、中学サッカー部も活動を開始した。平成22年度からは内部進学の生徒も高校サッカー部に入部した。

 総勢100名以上のサッカー部員が、伝統のグラウンドで日々汗を流している。そして、ついに令和3年度にたくさんの方々の多大なるご協力によりグラウンドが人工芝化した。
 「サッカーのまち さいたま」その中心に位置する伝統の市立浦和。OBOG会や父母会、地域の方々などからの熱く、そして温かいご声援をいただきながら、今後も全国制覇に向け、名門が名門であり続けるためにチャレンジし続ける。

【歴代監督】
昭和21年~ 永田養三
昭和27年~ 鈴木駿一郎
昭和39年~ 永田養三
昭和40年~ 磯貝純一
平成11年~ 池田一義
令和 元年~ 大野恭平

<永田養三 先生>
 昭和18年創立の浦和市立高等学校は、男子のみの中学校として六辻の仮校舎でスタートした。サッカー部がつくられたのはもちろん終戦後の昭和21年のことである。といってもグランドも、ゴールポストも、ボールもないというもの。仕方なく旧制浦高のグランドなどを借用して練習を続けた。昭和23年1月に初めて県大会で優勝の味を覚えたが、その後は苦難の道の連続であった。
 昭和27年7月鈴木駿一郎先生が赴任し、ショートパス、オープン攻撃の戦法を取り入れてから雌伏10年やっと国民体育大会県予選に優勝し、32年の静岡国体から全国大会へ駒を進めるようになった。先生の監督としての在任中、国民体育大会出場6回中、優勝2回、準優勝1回、3位1回。正月の高校選手権出場4回中、優勝2回、準優勝1回という輝かしい実績を残され黄金時代を打ち立てた。その後、更に国民体育大会1回、全国高校総体1回、高校選手権2回と合計全国大会に8回優勝し、準優勝3回、3位4回を記録し現在に至っている。(永田養三先生手記「輝く埼玉サッカー75周年の歩み」から抜粋)

<鈴木駿一郎 先生>
 JFA機関誌サッカーの49号「追悼の物故者」に記された文によれば、「鈴木氏は静岡県出身。静岡中学、八校、東大時代からサッカーに打ち込み昭和5年の極東大会に日本製のボールを使えるように製作技術を指導したのも同氏の力による。専門は、地質学で満州で活躍。終戦後、偶然の機会で埼玉県に居住し浦和市高に勤務。同高サッカー部をしばしば優勝に導き、埼玉サッカー躍進の力となった。協会の役員として働くことはなかったが、日本サッカーの発達史上には忘れてはならない恩人」と。更に別に「大正末から昭和の初めの大学リーグ戦で活躍されていた姿をほうふつされるだけに大きなショックであった。」という文もある。
 鈴木先生と共に本校サッカー部の歴史上見落としてはならないものとして歴代OBたちが、実によく現役の指導をしてくれたことである。時には1チームできるぐらいの人たちが練習に参加。この熱意あるOBたちとの総合力が黄金時代を築き、相当の期間全国的な優位を保ち得た要因であると思われる。

<磯貝純一 先生>
 日本体育大学を卒業後、昭和40年から浦和市立高校監督。国体選手として活躍、教員の部で4度の優勝に貢献。監督として2年目には全国高校総体2位、選手権大会3位。就任3年目の昭和42年、高校総体(福井)で采配初全国優勝。昭和45年には高校総体ベスト8、昭和46年は高校総体3位と実績をあげる。さらに、昭和47年全国高校選手権制覇。このときの選手には、清水秀彦(元横浜マリノス監督・当時3年生)、田中孝司(元名古屋グランパス監督・当時2年生)などがいた。
 その後、昭和57年度高校総体(鹿児島)ベスト8。昭和58年度に11年ぶりとなる全国高校選手権出場を果たしベスト8。このとき、前監督である池田一義が選手として出場している。磯貝監督が56歳となる平成8年度には13年ぶりに選手権出場を決めた。「守りを固め、外から攻撃」する伝統のオープン攻撃で、現監督の大野恭平が選手として出場し、堀之内聖(元浦和レッズ)を中心に勝ち上がった。準々決勝で中村俊輔(マリノス)を擁する桐光学園(神奈川)に敗れはしたが、ベスト8まで進出し古豪復活といわれた。35年間にわたる浦和市立高校での監督生活は、埼玉サッカーに多くの歴史を刻んだ。

<池田一義 先生>
 浦和市立高校を卒業後、筑波大学に進学。レギュラーFWとして活躍し、スローインを一回転して投げるハンドスプリングスローは、TVなどのマスコミに取り上げられ一世を風靡した。4年次の大学選手権では、DFの井原正巳(元日本代表)、FWの中山雅史(元日本代表)らとともに優勝を経験している。プロへの誘いもあったが迷わず教職を志願。埼玉県代表選手として国体成年の部で優勝。平成11年からは定年退職した名伯楽・磯貝純一前監督の薫陶を受けて、母校の浦和市立高校に赴任。平成13年埼玉県代表コーチとして国体少年の部で優勝。浦和市立高校就任4年目の平成14年度には、関東大会と高校総体に出場させる。平成16年は選手権埼玉県予選決勝に進出するが惜敗。翌17年関東大会に出場し、42年ぶりに優勝を果たした。翌18年、ふたたび選手権埼玉県予選決勝に進出。平成19年度、22年度には高校総体出場。19年度、20年度と2年連続関東大会出場。平成20年度全国選手権大会に監督としては初出場。平成23年度関東大会準優勝。平成25年度関東大会出場。平成25年度全国選手権大会に2度目の出場。平成28年度から埼玉県高体連サッカー専門部委員長を務めた。

<大野恭平 先生>
 2019年度より池田一義前監督よりバトンを受け継いだ。浦和市立高校を卒業後、順天堂大学に進学。高校時代はキャプテンとして全国高校サッカー選手権大会ベスト8に進出。埼玉県国体選抜選手にも選出された。順天堂大学時代は関東大学サッカーリーグ2位・全日本大学サッカー選手権ベスト4などの実績を残し、のちのJリーガー達と4年間切磋琢磨した。卒業後はさいたまサッカークラブで14年間プレー。関東社会人リーグを突破し地域大会に3度出場・ベストイレブン4回選出、成年国体選手に7度選出などの実績を残した。
 指導者としては平成30年度の福井国体において埼玉県選抜の監督として17年ぶりに埼玉県を全国優勝に導いた。令和2年度から埼玉県高体連サッカー専門部副委員長を務めている。

ギャラリー

サッカー部概要

顧問 監督:大野 恭平
顧問:中山 伊智郎 町田 裕一 星野 仁 中島 尚人
外部コーチ:5人
トレーナー:2人
部員数 1年 男子38名 女子13名
2年 男子32名 女子 5名
3年 男子37名 女子11名
部長 八木下 岬
副部長 岸本 滉平
活動日 火曜日から日曜日活動 月曜日オフ(原則)
活動場所 学校グラウンド 他

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